私は一般企業での勤務経験があり、大学院では複数の機関で実習を受けていましたが、実際に心理職として働き始めると予想していなかったことに多く直面しました。以下、思いつくままにあげてみたいと思います。
患者さんの困りごとは教科書通りではない
たとえば、統合失調症ならば幻覚や妄想、思考の障害などが症状として有名です。しかし、現在では精神疾患に対応する薬の改善により、このような典型的な症状をうったえる患者さんは少なくなっています。私自身、大学院入試や資格試験のための勉強で「学んでいた」統合失調症の患者さんには数えるほどしか会ったことがありません。
一方で、症状だけをみるならばいわゆる「発達障害」の患者さんの状態と区別がつきにくくなるケースが増えてきており、医師と頻繁に話し合うことがあります。もちろん、心理職が医学的な診断をしたり薬を処方したりすることはありません。しかし、必要に応じて医師や他の職種、機関につなげるためのつかみは大切です。私も、季刊の専門誌を購読するなどして知識をアップデートするように努めています。
心理職(の力量)もいろいろ
初診の患者さんが他の医療機関や教育機関等で受検した知能検査の結果を持参されることがあるのですが、率直に言って「こんな所見でいいのか」と驚かされることがあります。あらゆる検査は受検者への支援や理解の一助にするために行われるはずのものですが、専門用語を羅列して上段にかまえたような書き方であったり、参考書をほぼ丸写しするようなものであったり、数値のあいだにある矛盾をきちんと整理できず前後の整合性がとれていない内容のものをよく見かけるためです。
心理検査は、受検する本人に何らかの負荷のかかるものです。結果から読み取れることをきちんとその人の困りごとに即した形でフィードバックすることは、専門家として最低限の「マナー」ともいえるのではないでしょうか。
枠組みが揺らがされること
大学(院)のカラーにもよると思いますが、私の大学では付属の相談室で行っていたようなしっかりした枠組みのある一対一の心理面接の事例が重視され、「心理面接の構造を守ること」を徹底されました。ここでの「構造」とは、面接を行う時間や場所、カウンセラーとしての役割(場合にもよりますが電話対応や金銭収受は別の人が行う)のことです。
たとえば授業の都合で日程を変更した際、教授からひどく注意を受けたことがありました。就職した当時私もここに忠実であろうとしましたが、急患への対応や受付とのやりとりミス、家族の事情等で「構造」という概念が大きく揺るがされることが日常茶飯事でした。
しかし今では、相手との信頼関係が確立していれば揺らぎがあっても有意義にカウンセリングを継続できると感じています。もちろん、カウンセリングにおいて構造を守ることはたいへん重要なことですし、それが確立されている機関の方がずっと多いと思います。しかし、私の勤務先のようにケースが多様である場合、構造に囚われ過ぎて心理職として大事なことを見失ってはいけないとも思います。最近のように感染症の拡大で全世界が巻き込まれている状況では、前例のない状況で何ができるのかを問われているような気がしてならないのです。
学びと同じぶんだけギャップがある
以上、就職してから直面してきたギャップについて、個人的な感想を述べてみましたが、もう一つ大切なことをあげてみたいと思います。それは「患者さんが師である」ということです。心理検査にせよ心理面接にせよ、目の前にいる患者さんとのコミュニケーションによって学ばされることは実に多いです。こちらがコミットしすぎてもうまくいかないし、手を抜けばその通りの反応が返ってきてしまいます。「現場での学びと同じだけギャップがある」というのが真実であるように思います。