「健康によいと分かっているのに、なかなか続けられない」。健康心理学は、こうした行動の疑問から、ストレスへの対処や病気とともに暮らす人への支援まで考える心理学です。心だけでなく、体の状態や生活環境も視野に入れます。この記事では、研究テーマと主な理論を具体例で説明し、仕事や資格の学びにどうつながるかを紹介します。
健康心理学とは
まず、健康心理学が何を対象にするかを押さえましょう。健康を「病気があるか、ないか」だけで捉えず、生活の中で人が健康を保ち、病気に対処する過程を研究します。
心・行動・社会環境から健康を考える心理学
健康心理学は、健康の維持・増進、疾病の予防や治療に関わる心理的な要因を研究し、その知見を健康教育やヘルスケアに生かそうとする分野です。日本健康心理学会の「目的および事業・研究活動の内容」は、ストレス、睡眠、生活習慣、慢性疾患、生活の質(QOL)などを研究の対象として挙げています。
たとえば「運動すれば体によい」という知識があっても、帰宅が遅い、近所に歩きやすい場所がない、疲れているといった事情があれば実行は難しくなります。本人の考えや気持ちだけでなく、使える時間や周囲の環境も調べる点が大切です。
健康の維持・増進から、病気への対処まで
健康心理学は、健康な人が運動や睡眠の習慣を整える過程も、病気のある人が治療や日常生活に向き合う過程も扱います。目標は、個人に「正しい生活」を命じることではありません。何が行動を助け、何が妨げているかを確かめ、本人の状況に合った支援を検討します。
健康心理学で学ぶ主なテーマ
対象は広いものの、読者の身近な場面に置き換えると全体像が見えてきます。ここでは、健康行動、ストレス、病気との生活の三つに分けます。
食事・運動・睡眠などの健康行動
健康行動とは、健康を保つために行う食事、身体活動、睡眠などに関する行動です。研究では、行動を始める理由に加え、続けるための時間、習慣、周囲の協力にも注目します。「方法を知ったら必ず実行できる」とは限りません。
ストレスと心身の健康
ストレスに関する研究では、負担となる出来事そのものに加えて、その出来事をどう受け止め、どんな手段で対処するかを調べます。仕事の量を調整する、誰かに相談する、休息を取るなど、対処には複数の形があります。ただし、ストレスがある人を一律に病気と結びつけたり、特定の病気の原因だと決めつけたりはできません。
病気への適応と生活の質(QOL)
慢性疾患とともに生活する人にとっては、症状だけでなく、通院と仕事の両立、家族との関係、将来への不安も課題になりえます。QOLは、生活の質を表す言葉です。健康心理学では、検査値だけでは分からない本人の暮らしや希望にも目を向けます。治療方針の判断は医療職と共有し、心理学の理論だけで診断や治療を行うわけではありません。
健康心理学の代表的な理論と考え方
理論は「人は必ずこのように行動する」という法則ではありません。健康に関わる問題を整理し、何を確かめるべきか考えるための道具です。
生物心理社会モデル――体・心・環境を合わせて考える
生物心理社会モデルは、身体の状態という生物的側面、考えや感情という心理的側面、仕事や家庭などの社会的側面を合わせて見る枠組みです。エンゲルは1977年の論文「The need for a new medical model: a challenge for biomedicine」で、病気の理解に心理・社会・行動の側面を取り入れる必要を論じました。
たとえば睡眠に悩む人なら、身体症状、就寝前の不安、勤務時間や住環境をそれぞれ確認します。三つの側面を見れば原因が一つに特定できる、という意味ではありません。

ストレスとコーピング――負担への対処を考える
コーピングとは、負担と感じる状況に対して行う対処です。予定を見直して負担そのものを減らす方法もあれば、気持ちを落ち着けたり人に相談したりする方法もあります。どの方法が役立つかは、状況を変えられるか、利用できる支援があるかによって異なります。「前向きに考えれば解決する」と単純化しないことが重要です。
健康信念モデル――利益だけでなく負担も見る
健康信念モデルは、予防行動を考える際に、本人がリスクや病気の重大さをどう捉えるか、行動にどんな利益と障壁を感じるかに注目する枠組みです。たとえば健診を受けたい人でも、費用や仕事を休む難しさが障壁になりえます。危険性を強調するだけでは、その障壁はなくなりません。このモデルは検討の手がかりであり、一人ひとりの行動を正確に予言するものではありません。
自己効力感と行動変容ステージモデル
自己効力感は、ある行動を「自分にも実行できそうだ」と思える感覚です。「毎日運動する」より「昼休みに少し歩く」のほうが始めやすい人もいます。ただし、実行しやすい目標を考えても、休憩を取れない職場では続けにくいでしょう。
行動変容ステージモデルは、行動を変えることへの準備や取り組みの状態を整理する考え方です。まだ考えていない人と、すでに試している人に同じ働きかけをする必要はありません。一方、人が決まった順番で段階を進むと決めつけず、環境や生活の変化も確かめます。ケンブリッジ大学のテレサ・マルトーによる「行動変容の枠組みを見直す」も、知識や意志に加え、行動を形づくる環境への注目を促しています。
健康心理学・臨床心理学・医療心理学の違い
これらの分野には共通する対象があります。違いを、何を中心に考えるかという目安で整理します。
| 分野 | 主に注目すること | 例 |
|---|---|---|
| 健康心理学 | 健康行動、予防、ストレス、病気との生活 | 睡眠習慣が続く条件を調べる |
| 臨床心理学 | 心理的な困りごとの理解と支援 | 不安や対人関係の悩みを心理面接で扱う |
| 医療心理学 | 医療の場で生じる心理・社会的課題 | 治療を受ける人や家族の気持ちに対応する |
これは境界を厳密に引く表ではありません。慢性疾患のある人への支援は、三つの視点が重なることがあります。また大学の科目名「健康・医療心理学」は、健康心理学という研究分野と同義ではなく、両方に関わる内容を学ぶ科目です。
健康心理学は仕事でどう役立つ?
理論を仕事に生かすときは、対象者と現場の条件を具体的に見る必要があります。職場の座位行動を例に考えます。
職場で「座りっぱなし」を減らす支援の例
以下は説明用の架空例です。 デスクワークの従業員が「座り続けないようにしたいが、会議が続く」と健康づくり担当者に相談したとします。担当者は、いつ座る時間が長いか、立ち上がれる業務の区切りはあるか、体調上の制約はないかを本人と確かめます。

その上で、可能なら電話の後に短く歩く、会議の間に休憩を設ける、立って行える作業を選ぶといった方法を検討します。休憩を許容する業務の運用がなければ、個人の努力だけでは続きません。職場側の調整も候補に入ります。本人の希望や身体状況を無視して、一律の頻度や運動量を指示しないことも大切です。
この例は、Practical Health Psychologyの「座る時間を減らそう:小さな変化が大きな違いを生む」で紹介された、日常の活動に動きを組み込む視点を、職場の相談場面に応用したものです。この記事が上記の面談を実際の事例として報告しているわけではありません。
行動の支援では、次の四点を順に確かめると、助言を具体化しやすくなります。

医療・地域保健・学校での健康教育
医療機関では、病気や治療に伴う不安を聞き、本人が生活上の課題を整理できるよう支える場面があります。地域保健では、住民に健康情報を伝えるだけでなく、参加しやすい機会や相談先を考える視点が役立ちます。学校では、睡眠やストレス対処を学ぶ健康教育との接点があります。ただし、実際の担当業務は資格、職場の役割、制度によって異なります。
健康心理学に関わる資格と大学での学び
健康心理学は学問分野の名称です。学んだだけで資格や特定の職に直結するものではありません。ここでは、関連する二つの資格と、学習の進め方を整理します。
公認心理師と「健康・医療心理学」
公認心理師は、心理状態の観察・分析、本人や関係者への相談・援助、心の健康に関する教育などを行う国家資格です。厚生労働省の「公認心理師」によると、試験を受けるためのルートは複数あります。代表例は、大学で所定科目を履修した後、大学院で所定科目を履修するルートと、大学卒業後に認定された施設で所定の実務経験を積むルートです。試験に合格し、登録を受けて公認心理師になります。大学で心理学の一科目だけを履修しても受験資格は得られません。
同省の「公認心理師カリキュラム等検討会報告書」では、大学の「健康・医療心理学」に、ストレスと心身の疾病、医療・保健現場の心理社会的課題、災害時の支援を含めています。健康心理学を学ぶことは、この科目を理解する助けになります。ただし、健康心理学を学んだ人が全員、公認心理師を目指すわけではありません。
認定健康心理士とは
認定健康心理士は、日本健康心理学会が認定する資格制度です。区分には健康心理士、専門健康心理士、指導健康心理士があります。学会の「認定健康心理士 資格申請の手引き(2025年改訂版)」によると、健康心理士は原則として4年制大学卒業者等を対象とし、学会認定カリキュラムの修得、心理学関連学科での履修と不足分の研修、公認心理師資格保有者向けの申請など、経歴に応じた複数のルートがあります。申請区分によって、書類審査のほか試験・面接が必要です。
学会認定カリキュラムを学ぶルートでは、心理学の基礎に加え、健康心理学や専門科目の履修が中心になります。認定校以外の出身者は、履修状況に応じて学会研修を受ける場合があります。公認心理師資格保有者のルートでも学会研修が求められます。これらは同じ条件を全員に課す制度ではありません。専門健康心理士には、大学院での学習や実習・職場経験など別の条件があります。
これは学会認定の資格であり、特定の医療行為を行える免許ではありません。取得を考える人は、自分の学歴・履修科目・経験がどの申請区分に当たるか、申請年度の手引きで確認してください。確認時点で学会の申請ページには2025年度の要項が掲載されていました。次年度以降の試験日程や費用を2025年度の情報から推定しないでください。
大学で健康心理学を学ぶときのポイント
授業では「どの理論が正しいか」を暗記するだけでなく、健康行動をどう測ったかを確認してみましょう。たとえば「座る時間を減らす支援」の研究でも、自己申告で測ったのか、機器で測ったのかによって結果の読み方が変わります。心理学研究法は比較の設計を、心理学統計法は結果のばらつきや不確実性を考える助けになります。ストレスと体の関係を学ぶには、生理心理学の知識も役立ちます。
健康心理学を学ぶうえでの注意点
健康行動には、本人の選択だけでなく、収入、労働時間、住環境、周囲の支援も関わります。行動が続かない理由を「意志が弱いから」と片づければ、必要な環境調整を見落とします。
研究を読む際には、二つのことも確認してください。まず、関連が見つかっても、一方が他方の原因とは限りません。次に、一つの研究の参加者や職場で得た結果を、すべての人に当てはめることはできません。支援の方法は、本人の事情と根拠の両方を踏まえて選びます。
健康心理学についてよくある質問
ここまでの内容を踏まえ、進路を考えるときに生じやすい疑問に答えます。
Q1.健康心理学は心の健康だけを扱いますか?
A. いいえ。心の健康に加え、身体の健康に関わる行動やストレス、病気とともに暮らす人の生活なども扱います。
Q2.健康心理学を学ぶとカウンセラーになれますか?
A. 学ぶことと、資格を取得して就業することは別です。希望する職場の募集要件を確認し、必要な資格や実習・経験から進路を考えてください。
Q3.健康心理学とポジティブ心理学の違いは何ですか?
A. 健康心理学は健康・病気・健康行動を広く扱います。ポジティブ心理学は人の強みや充実した生活などに関心を向ける研究領域です。幸福感や生活の質など、重なるテーマもあります。
まとめ
健康心理学は、健康を保つ行動、ストレスへの対処、病気とともに暮らす人への支援を、心理と生活環境の両面から考える分野です。理論を学ぶと、健康によい行動が続かない理由を具体的に調べられます。仕事や資格を考える際は、分野への関心と、職種ごとに必要な教育・資格を分けて確認しましょう。
参考文献・参考資料
- 日本健康心理学会「目的および事業・研究活動の内容」
- Engel, G. L. (1977). The need for a new medical model: a challenge for biomedicine. Science, 196(4286), 129–136. ※公開要旨を確認。
- Practical Health Psychology「行動変容の枠組みを見直す」
- Practical Health Psychology「座る時間を減らそう:小さな変化が大きな違いを生む」
- 厚生労働省「公認心理師」
- 厚生労働省「公認心理師カリキュラム等検討会報告書」
- 日本健康心理学会「認定健康心理士 資格申請の手引き(2025年改訂版)」
- 日本健康心理学会「資格申請」

